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来世と生の狭間で【日本一周予定地】

メンヘラ日常雑記ブログになると思います

幸福は不幸がないと幸福じゃないかもしれない、でも僕はヤダ

配られたカードで勝負するしかないわけないよ

マジもんのデュエリストならデッキトップで勝負しろや

どうも、くさかべです。

 

ちなみにこれはカードゲームの話ではなく人生の話です

それと僕はデッキトップは終盤じゃないと信用してません

 

 

幸福を見なければ不幸がわからず
不幸を見なければ幸福がわからないなんて嫌だ

終わりがあるとこが美しいなんてクソだ
無限こそ美しい

不幸には限界はない幸福には限界があると
ネコソギラジカル(上)の後書きに書いてあったような気がする
僕にとって幸福の限界とは何か

僕はそもそも停滞(現状維持)を良しとする人間ではないので、
現状維持といって幸福を求め続けない人間は死んでいるのと同じ、
幸福の限界もないと思っている

求め続けられれば幸福は無限だと思う

まだ幸福の限界を味わっておらず
限界に到達することはないと心のどこかで
""諦めているからこそ""求め続けることができるのかもしれない
少なくとも今のところ僕に幸福の限界はない

自論だが生きている限り不幸は留まらない
生きていることそのものが不幸だから生まれたことが
僕に関して言えば僕以外の人間は全て僕の不幸になり得る
不幸の量はまぁまちまちだが、数は無限だ。生きてる限り

僕はだらしがないのでひとりでは生きていけないのだ
だが僕はひとりじゃないと生きていけないのだ


ならば自分で決めた不幸の限界を踏み台にして感じられる自分で決めた最大の幸福を味わうのが
僕の生まれた意味で価値で理由なのではないか
僕に残された希望なのではないか

僕は""僕に""起こる不幸は全てロイター板(跳び箱の前にあるジャンプ板)
に変えてやるという覚悟を昔の僕が死んだ時にしたと自分では思ってる

幸福の限界という跳び箱を飛び越えた先には何もないのがやはり僕の最大限界幸福
ジェットコースターのテッペンなどの表現も僕はよく使う
(ジェットコースターというか他人の運転する乗り物があまり得意ではない僕は滅多に乗らないのだが)

これは本当の幸福の限界からの逃げでもあるので
僕は結局逃げているのだカッコつけて戦っているふりをしているだけ
別に逃げることを悪いとは思っていないしこれが僕の""限界""だと思う

 

仕事の後のビールはうまい的考えはあまり好きではない
オナ禁の後のオナニーは気持ちいいでもいいがここは自重する)
というか嫌いだ
なぜか、負け惜しみだから
毎日自分の好きな時間に飲めるビールのほうがうまい(と僕は思う)
もっと言えば好きなビール、場所、時間、人、雰囲気で飲めばもっとうまい(と僕は思う)
それを人はどこかで諦めているから
仕事のあとのビールはうまいなどと負け犬の遠吠えをする
諦めずにもっと幸福を求め続けろ妥協するな逃げるな
不幸を感じることで幸福を感じるのをやめてくれ
マジで心の底からそう思っているのなら何も言わないが

さらに本当に嫌いな理由ははっきりしてる
同族嫌悪
僕も幸福を感じるには不幸を味わなければと多少思っているから
それがとても腹立たしい
幸福と不幸は表裏一体ではなく、完全に別物にならまだよかった
表裏一体ぶってるくせに幸福不幸は個人で質量保存的ではないのがさらに腹が立つ

ネコソギラジカル(上)のあとがきにも書いてあるが
不幸と幸福のバランスを取ることがベストなのかもしれない
僕はなんでも特化型が好きでバランスとかいう中途半端は嫌い
なのでなんとか否定したいのですがね

いつもの矛盾
気に入らないのでこれで終わります
支離滅裂とは僕の書く文章のためにあるような言葉ですね

俺は求め続け、天辺で飛ぶ
もちろんこれは俺が定めた""限界""だ

前もなにかの記事で書いた気がするが
""生き続ける""ことこそが求め続けること
""生き続ける""すべての人間は僕の上で僕が尊敬しうる存在である
仲良くしづらい理由でもある僕は特別だから
そういうことだ

 

 

 

終わりといったが終わらない

ネコソギラジカルを読むと、零崎シリーズを読みたくなって

戯言シリーズをよみたくなる、そして今は人類最強シリーズもあるからね

これは無限だ、楽しみの、幸福の

だから僕は戯言シリーズが好きだし、西尾維新も好きだ

それだけ~~~